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赤引き繰糸始式(あかひきくりいとはじめしき)

赤引き繰糸始式(くりいとはじめしき)に行ってきました

 今日は、田原市亀山町の神宮神御衣御料所(じんぐうかんみそごりょうしょ)(通称=お糸神社、渡邊久子所長)に行ってまいりました。
ここでは、伊勢神宮に奉納する絹糸「赤引きの糸」を紡ぐ「繰糸始式(くりいとはじめ)」という神事が行われており、そちらの神事を見学に行くためです。
 
赤引き糸は、炭を熾し、繭を煮て、だるまと呼ばれる足踏み繰糸機で糸をとります。
(写真は、実際の作業を模擬実演していただいたものを撮影したものです。)
 お二人の糸姫さまが、糸を取り出すところを、総合の授業のふるさと学習の一環で、
今年も地元の亀山小学校の生徒さんたちが見学に訪れていました。
神宮神御衣御料所(じんぐうかんみそごりょうしょ)にあった手書きのメモも、紹介させていただきます。


お糸船の希少性

「神饌(しんせん・みけとも呼ばれ、お祭りなどで神様が召し上がられるお食事)」の献上は、全国から何件も行われていますが、
神様の衣である「神御衣の❝赤引き糸❞」の献上を行っているのは、ここ神宮神御衣御料所だけなんだそうです。


お糸船


『この行事は、愛知県渥美郡福江町 清田村 泉村 若戸村 和地村 堀切村 伊良湖村 中山村の八ヶ村の協力で始まったものです。
昭和23年頃には、養蚕家も姿を消し、豊橋・新城とにご協力をお願いしなければ奉献ができない時代となり、今日JA愛知東の皆さま 海野様にお願いいたしております。
 お糸奉献がお糸船と呼ばれるようになりました由来は、昔は福江港より荷船を借り、二日がかりで鳥羽に着いたのですが、いつからか世間の人がこの行事を「お糸さん」とか、「お糸船」と呼ぶようになりました。
「お糸船」とは、まさに世の人が付けてくれた愛称です』

『1467年の応仁の乱のため、三河赤引糸奉献の中絶を知った古田村生まれの渡邊熊十は、その再興を志し東奔西走すること10年。
その努力が実り明治34年(1901年)、内務省並びに神宮司庁の許しを得て、この地に神殿を立て、お糸奉献の本拠地としてここに三河伝統行事が復活した』

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