赤引き繰糸始式



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歴史と文化
詳細データ
名称 | 赤引き繰糸始式 |
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カテゴリ | 観光スポット 観る 歴史と文化 |
所在地 | 田原市亀山町 |
備考 | 【三河赤引糸奉献について】(みかわあかひきのいと) 三河地方で紡がれた絹糸(赤引糸)を毎年7月3日・4日に 伊勢神宮に奉献する行事を神御衣奉献と云います。 その赤引糸は、6月下旬に田原市亀山町 神宮神御衣御料所で紡がれます。繰糸の開始に当たり「繰糸始式」を斎行し、昔ながらの足踏み式繰糸機「だるま」を使い三河地方で産する繭から絹糸を繰糸致します。 伊勢神宮では、一年に二度 冬の御衣(和妙 読:にぎたえ)=絹布 夏の御衣(荒妙 読:あらたえ)=麻布の二種の神御衣を皇大神宮を荒祭宮に奉ります。 お糸船で奉献の赤引の糸は、冬の御衣(和妙)として奉献されます。此れを 正式御料 と云って居ります。 赤引糸とは、「清浄な絹糸」という意味で「神宮に奉献される絹糸」にのみ この語を使っています。 従って三河赤引糸とは、「三河の国より神宮に奉献される清浄な絹糸」と解すればよいでしょう。 因みに 三河国には朝廷に絹を奉った記録も残っています。この絹糸は「犬頭糸」と呼ばれました。 三河の赤引糸を神宮へ奉献する行事は 約三百年前 天武天皇の御代に三河の国 大野と云う所から(今日 新城市大野)始まったと伝えられています。 1467年 勃発した応仁の乱のために 奉献行事は途絶えましたが そののち 明治の初めに 渥美町古田住人 渡邊熊十は、その再興を志し東奔西走することになり その努力は約十年かかりました。明治34年ようやく内務省並びに神宮司庁のお許しがでて念願の三河伝統行事が 復活することになりました。 愛知縣渥美郡 福江町 清田村 泉村 若戸村 和地村 堀切村 伊良湖村 中山村 上記、8町村のご協力で始まったのです。(市町村名は当時の名) 昭和23年頃には、養蚕家も姿を消し 豊橋 新城と ご協力をお願いしなければ奉献が、出来ない時代となり 今日 愛知東農業協同組合の皆様にお願い致して居ります。 お糸奉献がお糸船と云うようになりました由来は、昔は、福江港より 荷舟を借り 二日がかりで 鳥羽に着いたのです。 何時の間にか 世間の人が この行事を「お糸さん」とか「お糸船」と呼ぶようになりました。「お糸船」とは まさに 世の人が名付けてくれた愛称です。 明治34年 奉献行事が再興されて以来 一年もかかすことなく続けられ本日に至りました。 |