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日本で一番小さなトンボ ハッチョウトンボが黒河湿地に…

渥美半島観光ビューローのブログをご覧の皆さま、こんにちは♬
今日は、田原市の文化財課から、「ハッチョウトンボ飛来」の一報をいただきましたので、ご紹介をさせていただきます。

黒河湿地植物群落(住所:田原市大久保町黒河49-149-7)で 日本で一番小さなトンボ「ハッチョウトンボ」が見られる時期になりました。

ハッチョウトンボは体長2センチ、1円玉と同じくらいの大きさのトンボで、湿地や湿原、休耕田などに現れます。

近年は、国内の湿地の減少、環境汚染などで生息数を減らしています。

黒河湿地植物群落はハッチョウトンボの貴重な生息地です。

この湿地には、他にもシデコブシ(3月下旬~)やシラタマホシクサ(8月下旬~)など、貴重な植物が自生しており、 愛知県指定天然記念物となっています。

ハッチョウトンボが見られるのは5月~9月頃です。

行動圏は狭く、逃げてもすぐに戻ってきます。観察や撮影に適しているため、カメラ愛好家のインスタグラムでもよく紹介されています。



 ぜひご興味のある方は、黒河湿地を訪ねてみてはいかがでしょうか♪

黒河湿地 ・・・ 

  

 

 ※道の駅田原めっくんはうすからお車で約10分くらいで行けます。

 ※公共交通機関 豊鉄バス 伊良湖支線 「黒河」下車


 ※申し訳ございませんが、こちらのパンフレットは現在発行しておりません。   

お渡しできるパンフレットがないので、画面上または印刷でご覧ください。


※画像の提供を希望される場合は、➡文化財課(bunkazai@city.tahara.aichi.jpに ご連絡ください。

第60回田原凧まつり『ケンカ凧』

前日の雨からは予想もしなかったほどの晴天に恵まれました!
けんか凧には絶好の風具合そう~✨✨

そんな中、開会式が始まりました(^▽^)/


会場となるイオン田原店の裏手に、みんなで移動しますよ~。

審判席を中心に赤組・青組が左右に分かれて決戦!


ケンカ凧が始まります!

各参加チームの方々に記念の1枚をいただきました♬

中電の田原凧サークルの皆さん♬
アイシンさん
トヨタ自動車田原工場さん
豊橋凧保存会さん
ちょっと光がとんじゃってすみません(´;ω;`)ウゥゥ

無事に審判も終え、田原市の伝統、皆さんの熱い思いに触れられ、とても素晴らしい時間でした✨✨
ありがとうございました(^▽^)/

表彰式の様子は、田原凧保存会のHPをご参照くださいませ(^▽^)/

ぜひ、ご興味のある方は、田原凧保存会主催『凧の学校 はやぶさ』で、田原凧のことをおしえてもらえますよ~。

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田原凧まつり『けんか凧』、始まります‼️


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第60回田原凧まつり‼️初凧祈願祭‼️

渥美半島観光ビューローのブログをご覧いただきありがとうございます🤗

本日21日(土)。
雨天のため、田原市総合体育館で開催している初凧祈願祭!


凧保存会の「揚げ手」が、記念に初凧をあげていますよ。
屋内での凧揚げだなんて、聞いただけでビックリです。
鈴木静真くんの初凧も、ご家族の見守る中、綺麗にあがりました‼️


いとこ同士の、蒼真くんと紗来ちゃん。

2枚が同時に舞いました。

根本さんはお2人の息子さんの初凧です。


たくさんのお写真を撮らせていただきましたので、まとめてご紹介させていただきます😆


たくさんの勇壮な初凧がそろい、壮観でした‼️


明日は『けんか凧』を開催予定です😌

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ホタルがとびはじめました♬

渥美半島観光ビューローのブログをご覧の皆さま、
こんにちは(*^^*)

今日は、免々田川(めめだがわ)のホタル情報をお知らせします♪

渥美半島の大きな地図ではこのあたり↓


↓駐車場は、
『田原市役所渥美支所』の駐車場をご利用ください。

駐車場(渥美支所)と、ホタルスポットとは、こんな位置関係。

今回教えてもらった、とっておきのスポットはここ♬
「うちだ橋」から、「てらまえ橋」までの区間で、ホタルに会えたそうですよ。

ホタルをご鑑賞の際には、下記の注意点にご留意くださいますように、
お願いいたします(^人^)。
今日のホタル情報は、里山の会保全会の木村会長さんより、お寄せいただきました。
ありがとうございました。


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ハマボウ見てきました♪

渥美半島観光ビューローのブログをご覧の皆様、こんにちはー🤗
今日は、堀切に群生する「ハマボウ」の様子を見て来ましたー♪



新緑の芽が出そろい、葉が茂り始めていましたよ♪
花が咲くのはまだ少し先そうですね(*´꒳`*)
【ハマボウ】
海岸の湿地に生える亜熱帯性の植物。
ハイビスカスの仲間で、大きな黄色い花をつけます。
花は一日しかもちませんが、次々に咲いていきます。
自生する北限である堀切の自生地は県の天然記念物に指定されています。

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【江比間野外活動センター 青年の家/キャンプ場】へ行ってきました~♬

渥美半島観光ビューローのブログをご覧の皆さま、こんにちは😊

今日は、江比間野外活動センター 青年の家/キャンプ場を紹介いたします♫
キャンプ場の営業は、7月・8月と、まだ少し先なのですが・・・。
予約は1年前からできちゃうんですよ~だからね(^m^)✨✨

この施設は、5名以上の団体さん専用の施設となっていますが、5人以上のご家族やグループ等でも利用は可能です。

国道259号線を、道の駅田原めっくんはうすから伊良湖方面に向かって、車で走ること8.2キロ(約15分弱)
左手に、こんな看板が出てきたらここを左折。

正面にセンターハウスがあるので、ここで宿泊手続きをします。


体育館


和室


洋室


お風呂(2箇所あり)


厨房



キャンプ場

テントサイト
(テントは常設のテントが設置されます(持ち込みのテントは設営できません)

野外炊事場

キャンプファイア場


和室からの眺望です♫
地元の私たちですら、思わず声がもれるほどの絶景でした~✨✨
問い合わせ先
 江比間野外活動センター
 ☎0531-37-1025 
 Fax0531-37-1287

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ハマヒルガオの開花状況(5月7日現在)

渥美半島観光ビューローのブログをご覧の皆様、こんにちは~(^▽^)/

今日は、ハマヒルガオの開花状況をお知らせします。

先日お報せした4月27日から約10日ほどが過ぎましたので、ご参照くださいね~✨✨

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この季節限定のメロン🍈発見っ!!!

渥美半島観光ビューローのブログをご覧いただき、ありがとうございます(^▽^)/


今日は、道の駅田原めっくんはうすの売り場に行ってきましたよ~✨✨

『この季節限定のメロン🍈』が並んでいたので、ご紹介いたします♬

1つ目はイエローキング。
さっぱりとした瓜系のメロン🍈で、約2か月の期間限定のメロンです!


1個から販売されていて、袋売り・箱売りも並んでいましたよ~(^^♪


2つ目は、摘果メロン。
これは、普通のマスクメロン🍈の赤ちゃん。
大きな1玉を作るために、摘果(間引いた)ものです。
毎年、これを楽しみにしているお客様もいらっしゃるので、紹介させていただきました(^▽^)/
これは、出会えたらラッキーな一品だと思いますよ~✨✨
*双方とも、入荷のタイミングなど、ず販売されているとは限りません
あらかじめご了承くださいませ~m(__)m

※4月28日現在の店内の様子です。
 価格はその日により異なります。


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宮川春汀さんって、知ってる?

 渥美半島観光ビューローのブログをご覧の皆さま、こんにちは♬

ちょこっと登場した『宮川春汀(みやがわしゅんてい)』のことを・・・。


宮川春汀さんってね、かいつまんで言うとね。
①田原市福江町(旧・畠村)出身の挿絵画家さんでね。
②自分の故郷である渥美半島のすばらしい景色や人々の温かさが大好きでね。
③詩人や文豪仲間であった柳田國男、田山花袋、太田玉茗などに、伊良湖岬を訪れるきっかけを与えた人でね。
④その柳田國男が、流れ着いた椰子の実を見つけてくれてね。
⑤この柳田国男の話に心を打たれた島崎藤村が、詩歌『椰子の実』を書いてくれてね。
⑥作曲家の大中寅二さんが曲を作ってくださってね。
⑦唱歌『椰子の実』が誕生した・・・というね。。。
彼・宮川春汀なくしては、唱歌『椰子の実』はなかったんじゃないか・・・って、
そんな要(かなめ)の人物なんじゃないかな~と、そんな人♬
(↑これは、おかぴ個人的な主観が入っております。)

今回は、そんな『宮川春汀』の素敵な画集を、田原市博物館さんからお借りしたので、
皆さんに紹介させていただきたいと思います。


『挿絵画家 宮川春汀展   
 編集・発行:田原市博物館 発行:平成22年8月28日』より引用

『肉筆画』

『口絵・挿絵』
★こちらの画集は、田原市博物館さんよりご寄贈いただき、めっくんはうす1階の観光案内所でご覧いただけます。
どうぞお気軽にお声がけください。

◆宮川春汀の生涯◆

宮川春汀は、明治6(1873)年11月11日、畠村(現在の田原市福江町)の当地きっての豪商であった渡辺家の次男として生まれ、守吉と名づけられました。生家の渡辺家は、代々長右衛門か五郎右衛門を名乗り、畠湊の河岸通り(福江町下地)で廻船業と薬種問屋を営んでいました。その昔、身分の高い人たちの宿に使われた事から地元では「宿本(しゅくもと)」あるいは「お宿(しゅく)」と敬称され、後にはその屋号が「宿本屋」と呼ばれるようになりました。かの伊能忠敬が沿岸測量のため、享和3(1803)年に畠村を訪れた際には、ここに宿泊したことが記録されています。
14歳となった守吉は、こちらも畠村の旧家で当時絶家となっていた宮川善左衛門の名跡を継ぎ、宮川の姓を名乗ることになりました。この宮川家も畠村七党(宮川、天野、荒木、松野、竹本、朽木、戸田)の流れを汲み、南北朝時代には、原の島へ潮音堂が建立された際に、その開基に助力し、現在の潮音寺(福江町)が寺格を持った際にもこの家が中興開基者となって大きな功績を残したとされた家でした。

明治23(1890)年、17歳の時、幼少の頃からの夢であった画家を目指して東京に行き、挿絵界で活躍していた画家富岡永洗の弟子となりました。そこで一生懸命に画を勉強した守吉は、師匠より最初「蓬斎洗圭」の名前をもらい、「風俗画報」という雑誌に初めての挿絵が掲載されました。その後、作品の制作が軌道に乗り始めた明治28(1895)年に「春汀」と改名して、宮川春汀が誕生しました。
その名を春汀とした翌年からは、錦絵(色刷りの浮世絵版画)にも挑戦します。春汀の錦絵は、特に子どもの遊びや生活の様子を描いたものや美人画にすぐれ、その名は徐々に知られるようになりました。しかし春汀は、熱中していた錦絵の制作を5年でやめ、以後は再び挿絵画家としての道を進むこととなりました。

明治30(1897)年、結婚をきっかけにその新居を本郷に移した春汀は、ここで多くの文人たちと交流を深めることとなりました。春汀は、詩人の太田玉茗と親友になり、玉茗の部屋に集まる友人たちに自分の故郷である渥美半島のすばらしい景色や人々の温かさについて話をしました。その話に関心を持った柳田國男、田山花袋、太田玉茗などが後に伊良湖岬を訪れることとなりました。

明治32(1899)年になると、大手雑誌社であった博文館から少年文学関係雑誌への挿絵の仕事が増え、明治37年からは、大人向けの小説などの挿絵も担当するようになりました。

明治38(1905)年、不幸にも最愛の長女を電車事故で亡くした春汀は、挿絵画家ではなく、日本画家としての活躍を夢見るようになります。しかし、これに失敗すると芸術上の悩みも加わり、ノイローゼのような状態になってしまいます。こうして、大正3(1914)年に病気となった春汀は、その年の7月26日に41歳という若さで亡くなりました。


上記、田原市博物館の解説より引用させていただきました。

田原市博物館のご担当の方々に、多くのご協力をいただきました。

ありがとうございました♬


田原市博物館のHPはこちら→→→→★★★★★

➡➡➡https://www.taharakankou.gr.jp/spot/000037.html


ちなみに、唱歌・椰子の実』の関連記事も、ぜひ読んでみて~(^▽^)/

➡➡➡https://www.taharakankou.gr.jp/blog/002015.html





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